Boca地区散策

Lundi 20 janvier 2020

今日はアパートの近くのPizza & Pasta Jetroでピザを食べる。いろいろ野菜のたっぷり乗っているピザでとてもおいしかった。正直、先日のGüerrinはなんだったんだろう。パプリカとチーズのみのピザ。なぜ、マチュはあんなにも行きたがったんだろうと思う。

食後29番のバスにのり、ボカ地区に向かう。ボカ地区は最初にイタリアの移民が入植したエリアだ。タンゴの発祥の地ともいわれている。バスで町の中心を横切り、40分ほどで到着。すぐにカラフルな街並みが目に飛び込んでくる。そう、このエリアはカラフルなことで有名。ガイドによると、昔、ペンキの量が足りなくて、移民たちは仕方なくペンキの色を混ぜ、結果カラフルになってしまったのが始まりらしい。今もカラフルな色が残るのはCaminato通り。たくさんの観光客が写真を撮っている。インスタ用かなあ。若者たちは何枚も何枚もポーズを変えて同じところで撮っている。自分もインスタグラムを初めて見て、いわゆる映える写真を撮るにはテクニックがいるなあと感じる。ポーズだったり、角度だったり。画像加工のアプリはたくさんあり、旅行のインスタグラムを見てると、素晴らしい景色だらけだ。同じウユニ塩湖でも、画像加工によって全然違うし。いまさらにして、インスタグラムがはやった理由がよくわかる。自分は日記のようなものなので、あまりこだわらないといいつつも、やっぱり見てくれがいい方がいいなと思うが、写真は昔から下手だ。残念。

さて、このボカ地区のサッカーチームはアルゼンチンでも1,2を争う人気。かのマラドーナも在籍していたBOCA juniorsだ。マチュはサッカーボールを、笑里はTシャツを購入。 また笑里はお土産屋さんで、アルゼンチンの代表的なお菓子Alfajoresを味見させてもらい、いまさらハマる。今まで散々おいしくないって言ってたくせに。Alfajoresは、中にドルチェドレチェ(ミルクのジャム)がたっぷりはいった分厚いクッキーで私には半分で十分だ。アルゼンチンは、デザートも肉もとにかく大きくて、アルゼンチン女性のはじけるような『パッキュンポン』のスタイルの理由がわかるような気がする。

San Telmo 地区散策

Dimanche 19 janvier 2020

今日は、いよいよSan Telmo 地区。ずっと行きたかったエリアだが、市場の立つ日曜日まで取っておいたエリアだ。地下鉄にのってIndependenciaで下車。とりあえず腹ごしらえをしようと Chile通りを歩く。下調べしておいたレストランが閉まっていたため、急遽、Gallicienというレストランへ。席に着くとバケットとクリームソースが出てきた。特に酸っぱくもなく、少ししょっぱいだけのなんだか不思議なソース出される。私はブエノスアイレス名物 Bife de chorizoを注文。厚さ8㎝、重さ500g以上はあるであろうステーキとポテトだ。特にソースがなかったので、シンプルに塩でいただく。周りはカリカリで中はジューシー。私はベジタリアンではないが、あまり肉が好きだはない。でもここは名物料理に挑まねばと、久しぶりにがっつりお肉をいただいた。もちろん2人でも完食できなかったので、マチュもお手伝い。マチュの頼んだパエリアも相当な量だったので、3人ともおなかがパンパンになった。

Bife de chorizo

その後、蚤の市を散策し、アルゼンチンの国民的漫画 Mafalda のエコバックを購入。本当はMafaldaのベンチで写真を撮りたかったけど、なんとまあすごい行列ができていたので断念。路上でタンゴが見れると聞いていたのに、あまり踊っている人がいなく期待外れだった。その後アイスクリームを食べて、Parque Lezamaまでぶらぶら散歩。ちょうど園内に、無料で入れる Museo de Historiaがあったので、閉館前の30分に滑り込む。エクアドルから始まり、南米とスペインの関係を博物館でたくさん見てきた。こうして旅をしてみると、当時のヨーロッパがいかに発展していて、世界各国にたくさんの影響を及ぼしてことがわかる。いいことなのか悪いことなのかはわからないが、これも歴史。

人形のタンゴ
たまには、凛々しい笑里

Museo Prohibido No Tocar 触らないといけない科学館 

Samedi 18 janvier 2020

今日は、笑里のご機嫌が斜め。旅の始まりから笑里の反抗期が始まったような気がする。友達と遊ぶのが大好きな笑里を、1年間旅行に連れて行くのはどうかと思っていたが、やはり5か月たった今も、お友達に会いたい、パリに戻りたいという。楽しいときは問題ないのだが、相変わらずうまくいかないフランス語のレッスンの前後にはだいたいパリシックになる。だいたいマチュも子供の気持ちに寄り添えない父親なので、えみりがパリシックで泣いたりすると、わがままだという。なんて鬼発言!!引っ越しするだけでも、子供には大変なストレスだと読んだことがある。ましてや1年間の旅行など8歳の彼女にとっても大変なことなのだ。そんなこんなで最近、えみりはマチュと別行動をしたがる。マチュに言わせれば、私が甘いらしいが、私は必ず笑里の味方だ。ということで、午前中は別行動。のんびり2人であやとりをしたり、日本のビデオを見たり、洗濯をしたりして過ごす。たまにはこんな日と作らないと、3人ともストレスで参ってしまう。インスタを見ているとほかの家族は楽しそうに世界を回っているようにみえるが、それは表向きだけで、子供を連れての長期旅行はいろいろあるんだろうなとつくづく思う。

マチュとは、16時にMuseo Prohibido No Tocarで待ち合わせすることにした。地下鉄でFacultad de Derecho下車。Museo Prohibido No Tocarはサイエンスミュージアムだが、言葉の通り、なんでも触れる、体験しながら勉強できる博物館。最近は、東京でもパリでもこのようなタイプの博物館が多く、大人も子供も楽しく学べる。学びといえば、この旅でも素晴らしいことはたくさん経験したはず。パパも厳しい人だけど、笑里のことを考えてこういう楽しい場所をいつも探している。もしかしたら、笑里にとっては修行のような旅なのかもしれないけど、1年間なんとか頑張ってたくさん学んで強くなってほしい。

インスタ映え(死語か?)しそうな博物館の入り口
竜巻はどうやって起こる?
Facultad de Derecho

Museo Prohibido No Tocar : http://www.mpc.org.ar/home.htm

1人:300ペソ

世界で2番目にきれいな本屋 El AteneoとMALBA

Vendredi 17 janvier 2020

今日は、世界で2番目にきれいな本屋さんに選ばれたEl Ateneoへ。世界で2番目なんて誰が決めたのか調べてみると、イギリスの新聞社ガーディアン紙だった。もともとGrand Splendidという名前の劇場だったこの場所を本屋さんが買い取り今の形になったそうだ。劇場から本屋へ改装のアイデアって普通の人は浮かばないよなあ。中に入るとその豪華なことに驚く。劇場そのままのスぺ―スに本が陳列され、舞台だったところはカフェになっている。正直、本を探すという感じがしないところだけど、マチュは何か見つけたようだ。えみりとわたしは、ゆっくりカフェでお茶をしながらマチュの時間に付き合う。

カーテンの奥にはカフェが。

昼食はマチュおすすめのおいしいピザ屋。Güerrin。老舗のピザ屋さんで1932年創業。入口はスタンドバーになっていて、ピザ1枚などささっと食べたい人でごった返している。人込みをかき分け奥に進むとテーブル席がある。内装は当時のままのようで、なんだか映画の中にいるようだ。著名人も多く訪れているようで写真もたくさん飾ってある。テーブルに座って、早速Güerrinスぺシャルを注文。昔、BAはイタリアからたくさん移民が来た場所なので、とにかくピザやさんが多い。レストランタイプのものからイートインまで、値段も様々だ。ここGüerrinは安くておいしいことで有名。注文後、テーブルで待つこと15分。ファミリーサイズのピザがやってきた。上には…こぼれんばかりのチーズと少しのパプリカ…のみ。トマトソースも少ない。期待していたのと違うぞ。味はチーズの味しかしないので、飽きてしまい、2枚食べるので精いっぱい。パリでいうLe Bouillon Chartier のようなものだろう。当時は…って感じで、ほぼ観光地化したピザやさんだった。

Güerrin お昼どきはすごく混んでいる。14時くらいがおすすめ

食後はタクシーでMALBA (Musée d’art latino-américain de Buenos Aires) へ。ラテンアメリカの近代アート美術館だ。夏休みもあり、少し子供むけの展示や、実際に触れる展示が多く、笑里も楽しめた。

MALBA : https://malba.org.ar/

大人280ペソ 子供140ペソ

植物園 Jardín Botánico Carlos Thays

Vendredi 17 janvier 2020

ブエノスアイレスは暑い。散歩をしているだけで結構な汗をかく。今朝は涼しいうちに植物園に行くことにした。アパート近くでお昼用のエンパナーダを購入して、Subte に乗り、Plaza Italiaで下車。Jardín Botánico Carlos Thaysに到着。公園にはたくさんの日陰があり、緑の中でゆっくりとランチを楽しむ。笑里はエンパナーダは食べ飽きたといってぶうぶう文句をいいつつも、ペロリと平らげた。ひとまわりして、Alcorta Mallへ向かう。途中、Eco parque BAを抜ける。動物園が併設されているが、今は工事中。でも無料で一部が公開されていたので、動物をみながらぶらぶら散歩。途中、メリーゴーランドがあり、笑里も久しぶりに楽しんだ。そのあと、走って帰ってきた泥の中で転んでしまったけれど…。

Jardín Botánico Carlos Thays

ショッピングモールにいく理由は、お金の受け取り。アルゼンチンはとてつもなく銀行手数料が高い。15%くらいの手数料が取られるので、ウェスタンユニコン経由でお金をまた送って、受け取るために来た。毎回カードではらうときも、現金料金、カード料金の設定があるし、素敵だけど正直なんだか面倒くさい国だ。

ECO Parqueで散歩中のマーラ。

Jardín Botánico Carlos Thays : 入場無料

Puerte MaderoとCentro地区散策

Mercredi 15 janvier 2020

あいにくの雨。SUBE (バス、地下鉄に使える日本のSuicaのようなもの) を買って、地下鉄SubteのÐ線にのって、Puerte Madero地区にある海洋博物館 (Buque Museo Fragate Presidente Sarmiento) を目指す。Catedral 駅で地下鉄をおり、San Martín 将軍の眠るCatedral Metropolitanaを通り、Plaza de Mayo(5月広場), Casa Rosadaを(大統領官邸)抜ける。

Plaze de Mayoの広場下には、白いスカーフが描かれている。アルゼンチンでは1976年から1983年まで軍による独裁が行われていた。当時の政権に立ち向かい失踪した人達は8000人から30000人と推定されている。その家族が失踪者の所在について政府からの返答を求めてこの広場に集まった。女性たちは白いスカーフを頭に巻いて、大統領官邸前である広場で抗議したそうだ。この抗議運動はメディアに取り上げられ、多少なり戻ってきた人がいたらしいが、多くの人の行方はいまだ不明だ。Wikipedia によると、連れ去られた人達は、飛行機に乗せられて生きたまま海に捨てられたりしたらしい。未だにアルゼンチン政府はオフィシャルとしては、『失踪』したとしている。本当に恐ろしいことだ。

広場を抜けると、赤い倉庫が並ぶ運河沿いの道にでる。まるで横浜のようで、なんだか懐かしい。目の前に三本のマストが見えてきた。目的の海洋博物館だ。。雨の日は閉館。残念ながら中には入れなかった。お昼は笑里の希望でMostazaでボリューム満点のハンバーガーを食べて、セントロ地区までぶらぶら歩く。Libreria de Avilaという1777年から続く、老舗の本屋さんへ。内装もさながら、古い本が並び(もちろん購入可)読めないけど、ちょっと開いてみるだけでも時代を感じる。えみりは絵スペイン語の風刺画の本を見つけ、階段に座って読みはじめる。私達夫婦はお互いに本が好きだ。娘もそう育って欲しいと思っている。パリにいた時は、本棚から自部うから本を取り出し読んでいたが、旅行中の今は自分で読める本がない。でもやはり本が好きなのだろう本屋さんへ行った時だけは、帰りたがらない。ここ数年、日本に住んでいないが、毎年帰省する度に子供用の本をたくさん買って帰っているので、えみりの本棚にはたくさんの日本語の本がある。私の自慢の本棚だ。帰りのスーツケースは恐ろしく重いが、これからも続けていきたいな。

Libreria de Avila

その後、マチュのTシャツ購入のために、Avenida de Froridaへ。たくさんのブティックが並ぶ賑やかな通りだ。『Cambio! Cambio!』と 両替屋さんのが5mごとに声をかけてくる。笑里はCotacabanaで買ったDoudou (ぬいぐるみ)『マオ』をどこかでなくしてしまったので、あたらしいものを購入。KIKIと命名。Avenida de Froridaでは私も笑里もつい、目があっちに行ったり、こっちに行ったりしてしまう。旅の途中だから、荷物は増やしたくない。けど…Tシャツだけの生活にちょっと飽きてきたから、そろそろオシャレがしたいなぁ。

続いて、Alliance française へ。Alliance françaiseはフランス文部省管轄の語学学校だ。驚くことに南米のかなりの数の都市にある。だいたいに図書館があり、本に飢えている我が家にはありがたい存在だ。平気で3時間いられる。日本ももっと文化の発信に力を入れたらもっと世界とつながれるのになあ。

Buenos Aires 到着

Samedi 14 janvier 2020

無事に首都ブエノスアイレスに到着した。バスは、前回のファーストクラスより格下げしてビジネスクラスにした。横になって寝ることはできなかったが、十分快適だった。ただし、真横にあったクーラーの爆音は除く。朝、いきなりマチュに『今すぐ降りなきゃ』と起こされる。明け方から眠りについたので、まだ寝ぼけながらも、横に寝ていた笑里を起こし急いで下車。マチュが目を覚ました時にちょうどブエノスアイレスの駅を出発してしまい、まさかと思った彼が運転手に確認。寝過ごした私たち3人だけ、途中下車させてもらったような感じになった。バスはブエノスアイレスから60㎞離れたLa Plata行き。本当にそこまでいかなくてよかった。下車したところは、ちょうどマクドナルドの前だったので、コーヒーで一息入れで、Recoleta地区パラグアイ通りのアパートへ。1800ペソとは思えない設備付きで、みんな大満足。チェックイン後、えみりとマチュは少し休み、その間に近くのCotoへ買い出し。昼食をアパートで終えて、歩いてRecoleta墓地へ。ここはアルゼンチンの著名人がねむる墓地。パリでいうPère LachaiseやMontparnasse 、東京だと青山墓地や谷中墓地のような感じだろう。まるでアダムスファミリーに出てくるようなゴシックのお墓はとてもきれいだ。名前を見ていると、イタリアやスペイン系の名前が多々あり、アルゼンチンで一旗あげた昔の人たちなんだとわかる。

小さい時、お墓はなんだか怖かった。最近は静かで好きだ。一通り散策して帰路についた。

Cimetière de Recoleta

Cimetière de Recoleta : 無料